構われたいされど放っとかれたい

三十路主婦の雑多な日記です

『京都の中華』を読んだ

仕事の都合で読んで紹介文を書いた本なんですが、興味深い内容だったので個人的にも

書評。

 

  

「京都」と「中華」?属性違うんじゃ?とクエスチョンマークが浮かんだそこの貴方、京都に幻想を抱きすぎじゃないでしょうか。餃子の王将も天下一品も本店は京都ですからね?ラーメン激戦区が存在し人口10万人あたりのパン屋は全国2位の京都は結構新しいもん好きだし小麦食ってます。

 

全国チェーンの店もあるし和洋中そこそこ色々な店もある京都で何が他と違うか。そう、特殊なローカライズです。

「にんにく使わないで」「油控えめにして」などの周辺の要望に応えるうちにできあがっていった独特の中華料理のメニュー。「出汁をとる」「具材を炒める前に炊いておく」って、これ京料理の話じゃないですよね?と聞きたくなる語彙がもりもり出てきます。表紙に使われている写真なんかこれ酢豚ですよ。思ってたんと違うだいぶ違う。

 

本の構成としては、お店の名物メニューを中心に利用客の雰囲気や店主・おかみさんの人柄、お店のなりたちを掘り下げた前編、文明開化から始まった京都での中華料理の伝播や系統が分かる中編、京料理の料理人に聞く「京都の中華」の後編(文庫版付録)でできています。

興味深かったところと感想を2つほどあげていくと

 

1.京都の「らしさ」はモザイク画

京都らしいローカライズといっても全部が全部同じような方向に舵を切った味付けやメニュー構成をしていないんですね。花街にある中華はにおいつかないように香辛料控えめ、学生街にある中華は四川系で辛さを全面に押した料理、とか。

でも何となく「京都らしさ」は感じられるのがこの本や京都の中華の不思議なところで。それはおそらく「京都らしさ」は一色構成じゃなくてモザイク画なんだろうなと思わされる内容です。「お店らしさ」があって「エリアらしさ」があって、さらに引きで見ると「京都らしさ」になるのでしょう。

 

2.京都の人、生活範囲が激狭

これは、文庫版付録の「京都で馴染み客が味付けに色々と文句出すのはなぜか」という問いに対して「京都みたいな狭いとこで『もうあそこ行かへんわ』て言い出したら次行くとこないねん」という文言ですね。

これは京都に住む人ならではの距離感覚な気がするんですが、生活している範囲がかなり狭い範囲で完結してるんです京都の街中に住んでる人(特に一定以上の年齢層)。東京「数駅程度ならすぐ行ける」という距離でもなく、車必須の地方の「車で行くから近隣の感覚が10km単位」という距離でもない感覚があります。

地下鉄・私鉄は駅からすぐの場所でなければいまいち使いづらく移動は複雑な系統が行きかうバスがメイン、それも観光客が多いしやっぱり徒歩かせいぜい自転車移動で済ませたい京都の人は、近くにふらっと食べに行けるお店があるかどうかを割合重視します。

また、お店に対する態度も不思議なもので年配の方なんかは行きつけの店に行く期間が空いていたら「顔出さんで悪かったなぁ」と現れます。個人店に限らずよく行くチェーン店でもこの現象あります。

生活圏がかなり狭く定期的な付き合いを前提とする京都の人ならではの接し方で、中華料理屋も含めた周辺のお店はできあがっているのでしょう。

 

ハレとケなんて言葉がありますが、「ケ」寄りの目線で京都を知りたい人にもいい本だと思います。

目次見てるだけでお腹が空くので、深夜に読むのはやめときましょう。